ゲシュタルトのビボログ

日々アホなことを繰り返しているので備忘録つけることにした…

第10回。今更ながら「聲の形」見てきた。その感想。

 

どうも。ヒャルキィです。

 

今更ながら「聲の形」見てきた。

これもちょっと前の話なのでアレなんですが、といっても、1週間以内。

 

とりあえず、メモ取ってたんで、ある程度は復元可能。

でも、時間がたつと忘れるのは必定なので、

備忘録として記しておく次第なのであります。

 

では、あらすじから。

ある程度ネタバレなので、

未見の方は避難することをお勧めします。

 

1.あらすじ

本作の主人公である、石田将也のいる小学校に、

超絶美少女の、西宮硝子が転校してきた。

ところが、硝子は耳が聞こえないというハンディキャップを持っていた。

そのうちに、将也たちは硝子をいじめるようになる。

いじめはどんどんエスカレートしていき、

補聴器を紛失したことを期に硝子は転校してしまった。

その後、いじめの矛先は将也に向かった。

そのことで心に傷を負った将也は大人しい子どもになってしまう。

 

数年たったある日、将也は硝子と再会する。

将也は硝子にいじめていたことを詫び友達になろうとする。

驚くべきことに硝子は小学校時代からずっと、

将也のことが好きだったのだ。

その後、派閥争いとか傷の抉り合いとかすったもんだあり、

将也は「うわー!」ってなるが…

 

 

 

 

 

 

 

【2.短評】 

それにしても、硝子は、いつから、将也を好きだったのか?

ということが気になる。

 

硝子が、健常者のように振る舞うことに拘り、

口から出た言葉で、将也に告白したのって、

小学校の時に、彼とつかみ合いのケンカをして、

ちゃんと言葉で言わないとわからないんだよ!と、

言われたことから発してるわけでしょ?

 

だったら、やっぱり、その辺なのかな?とも、思うが、

女の子たちに煙たがられ、そんなんじゃ遣り切れないんじゃないの?

と、将也が忠告し、硝子がそんな彼に、友達になろう、と言った時なのか。

 

それとも、直近で、筆談用ノートを返した時なのか。

 

まー、ここら辺は、考えてもしょうがないのかもしれない。

必ずしも、人は意図して

人を好きになるわけじゃないし…。

 

 

≪情報量多い≫

なんか、この作品、情報量めちゃくちゃ多くて。

たぶん、硝子が自殺しようとしたところあたりで、

もう、元取ったな、と思ったぐらい、内容濃かった。

 

あとで、パンフ読んだら、全7巻の物語を1本に凝縮している、

ということだったが、脚本家も監督と相談して、

何度も書き直した、というだけあって、

どこも不自然なところがなかった。

大変優れた構成です。

 

 

 

≪感動ポイント≫

いっぱいあったんだけど、一番来たのは、

硝子の母、八重子が、将也の母、美也子に土下座しているところ。

あそこは、ぶあっ!と涙が浮かんできた。

なぜなんでしょうか?

 

序盤から、引用してくると、

将也がいじめをしていると、母親に通報されたところの切なさとか、

俺も似たような経験があり、ホントわかるわー、と思った。

そういう事態になって初めて、申し訳ないことしたなー、と思う。

子供にとっては、母親を悲しませることが一番つらい。

当人としては、遊んでいるつもりでも、相手がそのことについて、

不快を感じていたら、それは「いじめ」になる。

それぐらいから、俺は人とあまり関わりならないよう

生きて行こう、と思うようになったよ☆

 

あと、硝子が、勝負髪型のポニテにして、

将也に告ったところもけっこう来たなー。

でも、実際、俺も将也と同じで、そのことが、ピンとこなかった。

なんで、わざわざ手話じゃなく、言葉で伝えたのか?

それは、すでに前述したが、

まさか、このタイミングで告るか?とも思ったし…。

後で、結弦との会話で、やっぱそうだったんだ、と思うに至る。

 

 

 

≪いじめについて≫

キリストも、ナザレでは弱い、と言っていた。

漢の高祖も、豊に帰れば、ハナタレと侮られていた。

 

基本、いじめがあれば、環境を変えて、

新しい人間関係を構築してしまえばいい。 

そもそも、人生はマイナスをプラスに転じることに時間を費やせるほど

長くない、と認識している。

そんな環境根本から変えてしまえばいい。

それをこの作品は、同じ町、同じ登場人物で解決しようとする。

そこに、この作品の難しさがある。

 

いじめていた者と、いじめられていた者は、

果たして友達になれるのか?

ということも、まー、それほそれは、難しいテーマだと思うし、

そんなこと考えたこともなかった。

そういう関係になっている時点で通常は、偏桃体が、

こいつとは関わっちゃいけねぇ、と判断しているのが普通だからだ。

 

いわば、肉食獣と、草食獣は友達関係になることはない。

これは、もう必然なんじゃないか、とも思う。

それこそが、この作品における、

植野の存在理由だったんじゃないか、と思う。

人間だからこそ起きうる、深い問題。

植野は植野なりに、将也を間違った人間関係から解放しようとしていた、

いわば、いいヤツなんですよ。正義の味方。

だから、植野の在り方は基本的に間違っていないんだと思う。

 

だが、この場合は、男女間の恋心も混じったものなので、

一概に、そうとも言えない。

男の子が、好きな女の子をいじめる、

というのは、世の中一般の通説。

愛と憎は表裏一体を成すもの。

男女間であるなら「憎」が「愛」に変わればいいだけのことだが、

植野の場合は、そうならなかった、というだけの話。

 

そして、自分を正当化するわけではないが、

ある程度、いじめ、いじめられ、というのは仕方がないと思う。

俺も、いじめ、いじめられ、という道は通ってきた。

 

そうやって、自己と外界の境界を、

トライ&エラーを繰り返して定めていく必要がある。

兄弟と幼少期を過ごせなかった子犬は、成長しても、

どこまでが遊びの範囲なのかがわからない犬に育ち、

飼い主の手を噛むようになるそうだ。

人は、自分がやられたら嫌なこと、やったら嫌がられることを、

こういう経験を通して身につけていくもんだと思う。

 

といっても、俺が経験したのは現在の学校で日々行われているような、

電子機器を使って、ターゲットの逃げ場を完全に塞ぐという、

凄惨ないじめとは程遠いものだったが…。

いやー、現代の子供に生まれなくてホント良かったですよ。

くわばらくわばら。

 

 

≪やっぱり、京アニはすごい≫

なんだかんだ言っても、京アニはすごいよ。

キャラを見ただけで、京アニだと分かる。

決して、同じ人が描いたわけではないのに、どういうわけか、わかってしまう。

京アニズム?

俺の目が優れているわけじゃない、

そういう、ソフトハウスって他にあるかなー?

え?日常?あー、それは考えてなかった。

さすがに、あれはわからないなー。

 

感動するところと、ドキドキするところが随所にちりばめられていた。

笑えるところは、なかったような気がするが…。 

硝子が、ベランダの手すりに立ったシーンは本当にドキッとした。 

 

この作品見れてよかったなー。

もう一回見に行きたい。 

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