ゲシュタルトのビボログ

日々アホなことを繰り返しているので備忘録つけることにした…

第92回「また、同じ夢を見ていた」読んだ… 感想

あ、どうも。ヒャルです。

 

 

 

※この記事の無断転載等を禁止します

 

 

 

「また、同じ夢を見ていた」

(住野よる/2016年2月/双葉社)

読んだ… 感想

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また同じ夢を見ていた 表紙

 

 

※この記事はネタバレを含みます

 

 

 

序盤、テーマが何なのか、

何を言いたいのかがよくわからない。

「幸せを感じる時」が、どーとか言っているが全く頭に入って来ない。

このマセた少女は一体なんなんだろう?

 

なんとなく適当に読み進んでいったが眠くなる。

どんどん眠くなる。

眠い、眠い… 寝よう…

 

まー、そんなこんなでがんばって読んでいくと、

そのうちに、リストカッター南の両親が死亡していることが判明し、

それに共感して泣く少女・小柳。

この辺りから急に面白くなってくる。

 

 

ほぼ、読み流していたから、

細かい内容はすっ飛ばしていたが、

100ページぐらいまで進んだときに、

この人とはどういう経緯で会ったんだっけ?

と思ってページを遡るぐらいに盛り上がってくる。

 

「ちょっとした喧嘩別れが今生の別れになってしまう」

というのは最早あるあるネタなのかもしれないが、

人生とは得てしてそんなもんなのだろう。

 

「両親と一緒にいられることが幸せ」という文節周辺が一番感動した。

授業参観に両親ともに出席できないことを知りブチ切れる少女・小柳。

だが、南さんとの遣り取りの中で、

親がいるということのありがたさを理解する。

 

日本人はそのほとんどが会社の利益のために、

自分の人生を費やす社畜ばかり。

たしかに、仕事があるということはありがたいことではあるが…

そこら辺は「国家」が「会社」に変わっただけで、

国家総動員法の頃から何も変わっていない。

(俺からしたら日本人の大半は気が狂ってるとしか思えないが…)

 

まー、それはさておき、

来ないと思っていた母親が仕事の予定を変更して参観日にやってきた。

少女は親は来ないと思って自分の考えを表明するが、

そこへ、さっきの文節がクロスする。

 

俺は人の親になったことはないのだが、

涙がボロボロ溢れてきた。

電車の中で読んでいたらヤバかったであろう…

 

中盤に差し掛かる前にこんなに泣けるなんて、

後半はさぞかしヤバいことになるだろう…、

と思っていたが、そうはならなかった。

 

泥棒の理屈のところは考えさせられた。

この部分はけっこう重いテーマである。

もし俺が同じシチュエーションに遭遇したら、

もちろんバカな男子生徒と同じ行動をとっていたと思う。

残念ながら、俺は残念な子なのだ。

 

少女と桐生少年との遣り取りは大層読みごたえがあった。

1人でも自分のことを本当に理解してくれようとしている存在がいれば強くなれる。

 

それにしても、

この話は、少女が3人の人物と出会って幸せについて考えたことが夢だったのか、

3人の人物が少女に出会うことが夢であったのかがよくわからなかったなー。

 

3人は少女の未来の姿(可能性を示唆したもの?)である。

普通に読めば前者だとは思うが、その未来の可能性が、

天涯孤独になったり、売春婦になったりするのかは謎である。

まー、どーでもいいことなんだが…

 

総合的に見ておもしろかったと思う。

 

 

 

終わり